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本物の映画はすごかった!「峠 最後のサムライ」ロケサポ体験記その1

 新潟県内各地でロケされ、6月17日から公開が始まった大作「峠 最後のサムライ」。長岡のヒーロー、河井継之助を描いた作品だけに期待は大きく、2018年の撮影ではロケネットのエキストラ登録会員「ロケサポ」の多くもエキストラやボランティアスタッフとして参加しました。皆さんから体験記を寄せてもらいました。

榎峠の戦闘シーン 普段できない体験

エキストラには計4回参加しました。

 

榎峠の戦闘シーンの撮影では東軍のエキストラ。途中から榎木孝明さんが到着するとのことで、楽しみにしていましたが、撮影中は眼鏡を外してくださいとの指示が。眼鏡を外している私は到着した榎木さんの顔が全く見えず。

しかし昼の弁当をもらいに行った際に眼鏡をしたら榎木さんのお顔をバッチリ拝見できました。そこにはエキストラの女性陣とにこやかに談笑する人柄の良い榎木さんがいました。この時は初めて草鞋を履いて鉄砲を担ぎ山道をかなり歩いたため膝を痛めてしまいました。

 

この8日後、与板の教練場で敗走する西軍のエキストラで船に乗って信濃川を下りました。

 

1週間前のエキストラで膝を痛めた私は、この日は歩くのがやっとの状態。

各人の配置場所を決める際に体調の悪い人は手を挙げるよう指示が。手を挙げた私には船の上から逃げてくる西軍の仲間に手招きする役が与えられ、秋の心地よい風を感じながら、信濃川の船上で約1時間過ごしました。

普段できない体験や映画撮影の内側を知ることができ、貴重なエキストラ体験となりました。しかし家内や子供達には、「好きだね~❗」と半分呆れられました。(長岡市50代男性)

「長岡生まれなので新政府軍にはなれぬ!」

ようやく公開されましたね。エキストラとして参加したのもあって待ちに待った感覚でいっぱいでした。

残念ながら主演したシーンは本編では全編カットとなっておりましたが、長岡藩士として朝日山古戦場の山頂で隊列を組んで、ゲベール銃を持ち駆け足で移動する役でした。

朝日山古戦場は途中までバス移動、山の開けた場所からは各自兵装を持って登山となりました。当時の長岡藩士たちもこんな風に重い荷物を持って山を登って戦いに備えたのかと思うと感慨ひとしおでした。

 

川での撮影で長岡藩士と新政府軍のエキストラ配役をスタッフの方が決めていると、とある高齢の方が「私は長岡の生まれなので新政府軍にはなれません!長岡藩士しかできない!」と力強く言っていたのが微笑ましかった。

 

いつもは観るだけだった映画作品。エキストラに参加してみると、作中ではほんの数十秒から数分の画を撮るためだけにとんでもない苦労をしていると実感することができました。

そして自分が参加しただけあり、作品の公開がとても楽しみで、どんな感じに映るのかなと楽しみながらスクリーンを食い入るように見てしまいました。

この「峠」でのエキストラ参加をきっかけに、県内で募集のあった映画やドラマのエキストラに参加するようになりました。(三条市30代男性)

 

女性陣も鉄砲担いで走る走る

緊張して一人向かった寺泊の体育館。

 

女性だけ集められ、スタッフの方より「本日のロケは(体力的に)きついので、(負担の比較的軽い)お弁当を配る仕事もあるから…」という旨の説明を受ける。エキストラ同士無言で顔を見合わせるも、「ここまで来て弁当を配ってても仕方ないし」で意見が一致。

 

早速、東軍足軽の衣装を着て、ロケ地までバスで移動。鉄砲(なかなか重い)を担いで一面ぬかるみの中を必死に走る。

 

事前に受けた丁寧なレクチャーなぞすっかり吹っ飛んだ。スタッフの方から、「転んでも起き上がってそのまま走ればいいですから」と涼しい顔で言われていたが、ただ転ばぬよう、遅れぬよう、必死で走った走った。おそらくこんな経験は人生最初で最後だろう。

 

直前までセリフを繰り返す役所さんら俳優の方々の真剣な姿に心打たれ、自分までも身が引き締まる思いだった。

 

初エキストラが『峠』で幸運でした。(長岡市50代女性)


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