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2004.3.14


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4人の方から新潟ロケの思い出やメッセージを頂きました。
▼寺島しのぶさん
ヴァイブレータというロードムービーは、新潟の雪なくしては語れません。私がこの雪にどれだけ助けられたか。雪を見ている表情が自分でも東京の時と変わっていると、思える程でした。この寒さを実際に感じられたからこそ、トラックの中の暖かさ・岡部希寿という
ぬくもりを感じられたのだと思います。ありがとう新潟!

(1972年、京都府生まれ。本作とともに、03年の「赤目四十八瀧心中未遂」で絶賛され、主演女優賞を総なめにしている。 )
▼大森南朋さん
正直言いましてですねぇ、新潟ロケをしていたのは最早一年も前の事でして 急に今になって新潟の感想って言われましても 中々 思い出せるもんでもないじゃないですか? しかもこちとらお仕事で行っていた訳でですねぇ ゆっくりと日本酒を飲んだりとか やっぱりお米がおいしいねぇ なんて言ってる時間もなくバタバタと通り過ぎていった二週間だったわけですよ… 悔しいのですよ、 せっかく新潟に行ったのに日本酒も呑まないで帰って来てしまった事が ハワイに行って海に行かないみたいな 箱根に行って温泉にはいらないみたいな そんなやぶさかでない感じなわけですよ… っつー事で映画祭かなんかで僕を呼んで頂いてですね 政治家よろしく過剰接待お願い致します(笑)
僕が今、新潟ロケで思い出せることと言えば 雪景色がキレイだった事と プラーカをブラついた事 あとは「ヴァイブレータ」の衣装担当、真霜和生くんの故郷だって事くらいかなぁぁ…すいません。


(1972年、東京都生まれ。新潟でも公開された「アイデン&ティティ」など、これからも公開待機中の作品が目白押し。)
▼廣木隆一さん
「ロウソクの向こうに見えたもの…」
シネ・ウィンドが僕を初めて呼んでくれた時から、新潟で撮影をしたいと思っていた。特集映画の上映後の飲み会でいろんな人が入り乱れ、誰が誰だか分からない状態で、でも、そこにいた、皆は熱く映画の話しをしていた。そして、そこにいた何人かがロケネットを立ち上げていて、いつか一緒にできる事があればと思っていた。今回の映画で、ほんといい仕事が出来たと思ってます。橋の上で、イチにのサンで振り向く子供達の顔、が忘れられません。新潟の飲み会も無駄ではなかったね。みんな、ありがとう。


(1954年、福島県生まれ。82年、「性虐!女を暴く」で監督デビュー。98年からにいがた映画塾講師や新潟・市民映画館シネ・ウインドでの上映会ゲストなど、新潟には何度も足を運んでいただいています。)
▼荒井晴彦さん
新潟県へ初めて行ったのは二十八年前、坂口安吾原作の『不連続殺人事件』のロケで、助監督としてだった。新津の油井や北方博物館で撮影したのだが、監督に敗戦直後のこの辺はアスファルトだったのかと言われ、道に泥をかぶせてカメラを覗かせてもらったら道路はフレームに入ってなかったり、なんで映画の季節は夏なのに稲がもう黄色いんだと言われて、スプレー持って田圃に入ろうとしたら、そこマムシが出るよと土地の人に脅かされたり、いい思い出はない。私はその場で映画監督は人非人だと思った。人非人にならないと監督ができないのなら、私には無理だと思った。三十歳になろうとしていた私は、もう映画を止めようと岩手の温泉に行き、クスリを飲んで雪を眺めていた。
だから、六年前、『身も心も』の監督としてシネ・ウインドに招ばれた時には感慨深いものがあった。人非人じゃなくても監督はできるということを自分に分からせるのに二十年かかったことになる。
 そして、去年の『ヴァイブレータ』ロケ。ATG作品『不連続殺人事件』がメジャー作品だったかのように思える小さなロケ隊だった。雪狙いなのに雪にも恵まれなかった。しかし、新津駅の親子弁当と三条の五十嵐食堂のカレーライスはずっと私の記憶に残り続けるに違いない。苦い味と甘い味という対照的な思い出として。
みなさん、ありがとうございました。


(1947年、東京都生まれ。若松プロで助監督になり脚本を手がける。98年、「身も心も」で初監督。99年、にいがたシナリオ講座講師。)



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